彼氏は非ジャニオタ

出戻り大学院生の忘備録。彼氏は女児向けアイドルアニメオタです。V6とKinKi KidsとKAT-TUNとポルノグラフィティ。

自由であるために

私はV6のPVの中で、『自由であるために』が一番好きです。何度でも言います。一番好きです。ちなみに二番目、三番目は『IN THE WIND』と『出せない手紙』、『Believe your smile』だったりするので、相も変わらずあの時代が好きです。何で好きなのかとか、この場面のどいつの表情が良いとかに関してはまた改めてまとめたいと思います。

『自由であるために』のPVを見たことが無い、という方も中にはいらっしゃるかもしれません。Film act lllに私の好きなPVが全て入っているので、是非お手に取ってみてください。

 

さて、今回は『自由であるために』のロケ地を探そうの回です。実際に特定は今現在も出来ておりません。何か情報をお持ちの方がいらっしゃったら、教えていただけたら幸いです。

元々、PVの撮影地などを特定するのが趣味でして、今までもKinKi KidsのLOVESICKの埠頭を大黒まで探しに行ったり、硝子の少年で光一さんが橋の欄干に立つのですが、その橋を後ろに見えたゴルフ場の網の角度で特定したりと、そんなことを良くやっていました。(お蔭で東京湾近くで撮影されたものに関しては大体すぐわかります)

そんな私が満を持して探そうと思ったのが『自由であるために』の二番から最後までに映るプラントです。

ヒントはいくつか存在していました。

1.井ノ原さんのお父さんの会社近くで撮影。

2.下水道施設であったため臭気が酷かった。

3.苛性ソーダを使用しているプラント。

 

それぞれ一つずつひも解いていきましょう。

1に関してです。こちらは調べればすぐにわかります。個人情報の件もあるので、気になる方は頑張って調べてください。

2に関してです。下水道関係の施設はいくつか種類があります。マンホールでおなじみの下水管。その下水や雨水を押し出すためのポンプ場。下水が海や河川に放流されるまで綺麗にする下水処理場。そして下水処理場の処理工程で発生する汚泥を焼く、スラッジセンター。

ググって画像を出したり、下水処理工程を少し調べればわかることなのですが、あのPVで出てくるようなプラントを持つのはスラッジセンターのみになります。そのことから東京都下水道局管轄の汚泥処理施設(スラッジセンター)に標的を絞りました。南部スラッジプラント、東部スラッジプラント、葛西水再生センター、みやぎ水再生センター、新河岸水再生センター、以上五か所が1999年時既に汚泥焼却炉を持っていた施設になります。(清瀬水再生センターは最近汚泥ガス化炉ができて、それもめちゃくちゃかっこいいので、興味がある人は是非)

3に関して。コマ送りでPVを見ている(スクリーンショットのためにそんなことを4時間ぐらいかけてやった去年のクリスマスイブ)と苛性ソーダと書かれたタンクが後ろに存在していることがわかりました。苛性ソーダは別名水酸化ナトリウムのことで、排煙処理のために水ナトで中和を行ってから煙から水蒸気を排出させます。そのため、煙突があるプラント(煙突がないプラントってのはないのかもしれないけど)ということがわかりました。

ここで疑問が1つ湧きます。『あれ?こういうロケ地とかって下水道事業年報の広報のページ見ればよくね?』おっしゃる通りです。事実平成22年ぐらいまでの事業年報はインターネットで誰でも閲覧することが可能で、何月、どこどこのセンターで、こういう撮影がありました、というのは書いてあります。(平成20年度年報にはポルノグラフィティ ROMANCE PORNO'08のパンフレット撮影が南部スラッジプラントにて行われたと書いてありました。そのパンフは今思いっきり手元にあるんだなぁ)

でもね、『自由であるために』は1999年5月発売。PV撮影が長く見積もって二ヶ月前だとすると、1999年3月、つまり平成11年度or平成10年度の事業年報を見なければならない。これは昔過ぎてネット公開されてなかったので、私は見に行きました、東京都庁に。

結論から言うと、平成10,11年度の広報ページにはロケ地云々の事は一切かかれておりませんでした。年報に書かれなかっただけで、何か残っているものは無いかと問い合わせも行ったのですが、資料が残っていないそうです。まだぎりぎり20年経ってないのですが、意外と資料っていうのは公的なものでも残ってないもんなんですね。

 

ということで、答えあわせは叶わぬ夢となりました。

まぁしかし、折角五か所に行先を絞ったのだから、実際に見学してみよう、と見学しているのが今年の夏になります。現在進行形です。

 

1.南部スラッジプラント(東京都大田区城南島)

南プラの方に行かせていただきました。この時はぶいろく友達の理系女子と二人で見学に行きました。

まず南プラの特徴をいくつか。

・東京都の中で一番多くの量の汚泥を燃やしてる(それだけ稼働しているプラントも多い)

・近くに羽田空港が存在しているため、建築物の高さ制限がある。城南島の制限は水平表面、51mです。

・そのため、6基ある焼却炉ごとに煙突がついている。

・汚泥処理施設の中で、脱水ケーキを脱水機から運搬するためにベルトコンベヤを使用している系統が現存している。

地盤沈下が激しく、汚泥処理施設と外の道路のあいだで今はおよそ1m近い差がある(ということは、今はスロープ状になっていても20年前はほぼ水平だった可能性がある)

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図1.南プラ汚泥焼却炉5号炉が奥、6号炉が手前。左は汚泥処理工場(脱水と圧送してた)

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図2.6号炉のプラント内部

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図3.基本的にプラント内歩くところはすけすけ(なんていう名前の床かわからない)だったので、この点はPVのプラントとは異なる。

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図4.桟橋に続く大きなコンベア

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図5.3号炉の煙突

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図6.4号炉全景

 

2.東部スラッジプラント(東京都江東区新砂

これは完全1人で見学しに行きました。東プラは砂町水再生センターの敷地内にあるのですが、砂町水再生センターの本館から東プラの事業所まで1kmありました。車で行って良かったです。

特徴ですね。

・高さ制限がないため、5基ある汚泥焼却炉または炭化炉の煙突は一つに集約され、その高さが100mを越えている

・ベルトコンベアでの脱水ケーキの運搬はしていない。

・炭化炉は東京都から委託された別会社が管理運転をしており、近接での撮影NG

・濃縮工程でベルト型濾過濃縮機が一部採用されている。

・廃熱発電機を有している。

後二つに関しては恐らくロケ地特定には関係ないことなのですが、個人的な忘備録として。

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図7.5基ある焼却炉、炭化炉の集合煙突。カラスの巣があるらしい。

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図8.2号炉と3号炉。奥にちょびっと4号炉、5号炉が見える(近接撮影NGよ)

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図9.ケーキ貯留槽から焼却炉、炭化炉に伸びる圧送管

 

ここであのPVのプラントについて整理したいと思います。

1.映っている箇所には脱水ケーキ運搬のためのベルトコンベアが見られる(臭気防止のために上は覆っている)。

2.六人全員で横並びで歌う場面(以後めんどいので☆の場面とする)で、映像左側に案内板らしきものが見える。よく見ると右のプラントにもある(燃焼炉の案内板っぽく見える)。

3.三人三人でプラントの上部に登っている遠景のカットがあるが、これは恐らく煙突部分ではない。

4.☆の場面後ろにトラックらしき大型車両が土手のような(少し高い)ところを走っている。

5.みんなが大サビ前に降りてくる階段のところはセラミックフィルタの集塵機に似ているが、このころから果たしてセラミックフィルタの集塵機があったのかはわからん。

6.見学してわかったけど、プラント内、特に焼却炉の近くは熱いので危ない。そのため、点検中か新設されたプラントで撮影された可能性がある。(今ほど色んなことが厳しく無かっただろうからもしかしたら稼働中のプラントだったかもしんねぇけど、)

7.星の場面の左のプラントの高い塔みたいなのは煙突だと思われる。

 

とかかな。やっぱり一番気になるのは☆の場面、焼却炉と焼却炉の間で撮影されたものだろうけど、あれほどの道幅を持つ施設は2017年現在、恐らく存在していない。で、今はベルトコンベアで脱水ケーキを運搬する方法は大分廃れて、主流は圧送ポンプによる運搬であるため、ベルトコンベアが無くなっている可能性がある。

 

以上のことを総合して、今のところ完全にここだ!という場所は掴めておりません。

ただ、ここで一番最初のヒント1が生きてくるのですが、井ノ原さんがお父さんの会社にトイレを借りたというのは、恐らく井ノ原さんが屋上に出ていくカットを撮っていた時なのかなと思うと、そこの場所は特定できて、その場所から一番近い汚泥処理施設は南部スラッジプラントになります。

正直、汚泥処理プラントというのは日々技術革新が起きているもので、PVにあるプラントと今のプラントは単純には比較ができません。また、プラントの耐用年数は凡そ20年ほどになります。そのため、汚泥燃焼炉は5基持つ施設であったら5年に一回ぐらいはどこかのプラントを立て替えている計算になります。個人的にはやはり南部スラッジプラントの4号炉の稼働が平成11年4月だから、その辺じゃないかしらとか思うんですけどね(そうすると、現在でも桟橋の方まで伸びているベルトコンベアの形状が大分違う)。

あとはどこを考えても、後ろの土手のように少し小高くなった道路と言うのが見つかりません。東プラは荒川の河口に位置していて近くに土手も存在しますが、何となく違う気もするし・・・(PVだけ見た感想では橋を渡るために徐々に高架になっていく道路という印象を受けました)

 

もう、私が結局何を言いたかったっていうと、小学生のうちに汚泥処理施設の見学に行ってればよかった!!ってことだし、出来ることなら1998年ぐらいにタイムスリップしたい。そして本気でV6にきゃーきゃーと愛を注ぎたかった。

 

 

追伸

PV云々関係なくても、汚泥処理プラントはとてもかっこよかったです。今工場見学や工場夜景などが流行っていますが、汚泥処理施設は東京都のものなので、あらかじめ予約すれば平日でしたら見学をさせていただくことができます。もしよかったら是非行ってみてください。次は葛西水再生センターと砂町水再生センターの見学を目論んでおります。

見学を案内してくださった各プラントの関係者さま、この度はどうもありがとうございました。

かれこれ、15年戦士です。

 私は自室に『"HAPPY" Coming Century,20th Century Forever』というV6の5枚目のアルバムの販促ポスターを貼っている。この前ふとHAPPYの発売日と来月発売する13thアルバム『The ONES』の発売日と同じことに気付いた。2000年8月9日と2017年8月9日。いきなり感傷が頭上から落ちてきたので、ここで忘備録として、私がV6に再び落ちるまでの軌跡をまとめておきたいと思う。じゃないと私は多分忘れる。

 

まずV6に嵌った経緯について。

これは完全に母親の影響。母親が木更津キャッツアイ岡田准一に嵌ってしまったことが全ての原因だ。ゴロゴロと転がり落ちた母親の行動は早かった。残念ながら2002年夏のLIV6には参戦できなかったものの、いつも嵌る前から大体見ていたけど、学校へ行こうは毎週録画になり、VVV6も見るようになった。私も単純にドラマとして木更津キャッツアイは今でも傑作だと思ってる。私達家族は今でもクドカン大好きファミリーだ。

私がV6を本当に大好きになったのは母親がV6 SUMMER SPECIAL DREAM LIVE 2003を買って来たことが本質的なきっかけだと思う。私は未だに2017年現在でも2003年コンが至高だと思っている。特にMIX JUICE、LOVE SONG、reprise...のメドレーと最後の羽根が大好きだ。あ、最初の自由であるために、IN THE WINDの流れも綺麗だ。ていうかVとVVプロは全てが最高だと思っている。多分このDVDは盛らなくても100回ぐらい見ている。このDVDを見て、私はV6が好きなんだと自分で認識した。

   

コンサートについて。

そもそも、私が生まれて初めて行ったコンサートは2004年のV6 SUMMER SPECIAL DREAM LIVE 2004 TOKYO DREAMであったと思う。多分この時生まれて初めて原宿駅に降り立った。東京生まれなのに小5まで原宿に行ったことが無かった。しかし残念なことにこのコンサートの記憶は一切ない。

そして記憶が断片的に存在するコンサートは次の年のV6 10th Anniversary Tour music mindの代々木である。オープニングの歴代のコンサートのロゴが出てくるところ、そしてボーイスカウトさながらの動き、長野ソロMAGMAのよくわからないバック2人などなど。何よりも母親が10周年記念と言うことで、死斑のカレンダーの裏面に習字で「V6おめでとう」と書かれた謎の紙を作り、その持ち手要員として私と弟が召喚されたのをとても覚えている。今考えると、あの横断幕のようなものはコンサート規約的にオッケーだったのか甚だ疑問だ。

V6 SUMMER LIVE 2006 グッデイ!!、これはDVD化されていないので、行ったはずなのに脳の底で眠っているはずの記憶の断片さえ思い出すことが出来ない。しかし今ネットでセトリを調べてほんのちょっと思い出した。岡田が弾き語りしていたのは覚えている。

次のこれが私が今のところ最後に行ったV6のコンサートである。V6 LIVE TOUR 2007 Voyager -僕と僕らのあしたへ-。これは意外と記憶があって、グッデイ歌い分けや、愛しのナポリタン、そして母が大好きな曲である「特別な夜は平凡な夜の次に来る」が最後に歌われるという珍しい感じ。そりゃ中2だから記憶は一番あるわな。

それ以来、母親はV6 LIVE TOUR 2008 VIBESに行っていたが、私は誘われた時「今年はV6別にいいや」と返した。

その後母親はV6を離れ、今はヨガと登山に夢中である。

私は、中学に入ってからはポルノグラフィティの割とガチなファンと化していた2008年のロイヤルストレートフラッシュ、2010年の∠TARGETというツアーはそれぞれ6回ずつぐらい行ったと思われる(過去の半券から推測されるに)。同時に邦ロック界隈に嵌り、聞く音楽はUVERworldASIAN KUNG-FU GENERATIONフジファブリック、藍坊主、といったバンドに変わって行った。邦ロックが好きという友人がよく「ジャニーズなんて」と言うこともあったが、私には前犯があるため、「いや、ジャニーズだってすごいんだよ」という擁護に回っていた。中学生は金も無いので、友人に嵐のきっと大丈夫の通常盤を買ってくれないか、と言われれば快く買ってあげて初回プレスにつくプチファイルをあげたりしていた。

 

さて、こんなポルノグラフィティにうつつを抜かしていた私に突然ジャニーズの横槍が入る。中1の時同じクラスだった女の子が「藤森ちゃ~ん、これ見て~」とKinKi KidsのTimeのMVを差し出してきたのだ。高3ぐらいの話だったと思う。そこから私は4,5年離れていたジャニーズに舞い戻ることとなったのだ。

当初はKinKiファンとしてジャニーズ界隈に戻ってきたものの、私が本当にV6に戻ってきたのは、FNSでWait for Youを見た時である。うちの人がEDM好きだったので、大学に入ってからEDMをよく聞くようになっていたというのもあったが、なによりも「健ちゃんの踊りがめちゃくちゃ上手くなってる!!!!!」と驚いたのだ。いやもう雷に打たれたような衝撃だった。私の知っている三宅は振りがとにかくでかい。影絵にしても三宅のダンスはすぐわかる、ぐらいのことしか思っていなかった。しかし2015年、三宅はだけでなくV6は進化していた。単純な振りなのに体を大きく見せたり、すごく意思が伝わってくるダンスで、正直KinKiにはないものだった。何回も三宅さんの話をしてしまうが、あの人、私がファンを離れていた数年間でダンス中の表情に磨きをかけまくっていた。今でも振りは他の4人(井ノ原は手足が長すぎてもてあましダンス)に比べて大きいが、その振りの大きさをあの人は完全に武器にしていた。

 

さて、2017年8月から始まるThe ONESコン、私は6公演行くことに今のところなっている。Voyagerコン以来なのだが、ファンの感じについていけるかどうか、少し不安なところもある(今現在もいるKinKi界隈はグッズにうちわが売られていないことが多く、うちわを持って応援という文化があまりない)。しかし、日々解禁されるアルバムの情報に一喜しまくっている毎日を送っている。私の初日は大阪城ホールなので、早くその日が来ないかと出戻りババアは心待ちにしているのである。